働く女子にレモンの癒しを week-end citron-girl

頑張っている女の子に、ちょっぴり酸っぱくて甘い内緒話とライフハック

自称サバサバ女、自称天然女はなぜ絶滅しないのか

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自分で自分のことを「私ってサバサバしてるんで〜」「ホラ私って男っぽい性格じゃない?」って言っちゃう女性。
突拍子もないことをしたかと思えば「私ってよく天然って言われちゃうんです」「また天然やっちゃった」とやらかしを喜んでしまうような女性。

女子が複数集まれば、必ずは出る「自称サバサバ女」「自称天然女」の被害報告。
自称サバサバ女って、自分でそう言ってる割に陰湿でねちっこくて、誰より根に持つし、男の前だとオンナ全面に出してクネクネしてる(※1)!ウザい!
自称天然女って、完全養殖(※2)で演技、どれだけズレた言動するかを計算していて、まどろっこしいやりとりを個性的で可愛いと思っている!ウザい!
…だいたいどなたと話していてもこういう結論に至る訳ですが、かれこれ私が学生時代、つまり20年近く前から言われているんです(年齢はご想像にお任せします)。
さすがに女性コミュニティ内で、自称サバサバ・自称天然を名乗るのは、手垢が付きすぎて恥ずかしいし古いし、顰蹙買うだけだからやめようとなりそうなものです。
ところが、最近でもまだこのようなクラシカルな名乗りをあげている方に遭遇したものですから、ノスタルジーと感動すら覚えました。
そこそこ社会に揉まれてそうな、お局世代現役キャリア女性でも、誰より人目を気にしそうな、流行に詳しくSNSネイティブ平成生まれの女の子でもいるんです。
何故絶滅していないんでしょうか。特徴をまとめました。

※1 自称サバサバ女を語るとき、男性のコミュニティ内での振る舞いにピンポイントで苦言を呈する子多数。
異性絡みでいろいろ面倒な被害を被った過去が伺えます。
※2 自称天然女を語るとき、ブリやタイのように天然の対義語に養殖の表現を使う子が時々いて趣深くてなんだか好きです。
由来はブリッコの演技ってとこなんでしょうか。

自称サバサバ女、自称天然女はなぜ絶滅しないのか

なりたい自分像をアピールするのに必死

真逆であることが多いと言われる一連の自称○○女子
憧れの女優さんやモデルさんのファッションやメイクをトータルコーディネイトで真似るように、特撮ヒーローや漫画のキャラクターになりきる男児さながら、形から入っているものと思われます。
自己啓発本によくある引き寄せの法則でも、自分で言い聞かせて信じることでなりたい自分に近づくと力説している成功者が多いですから、それをいままさに実践している最中なんです。

反省していない、客観性に欠けている

やりたいことなりたい自分へ、形から入ったり、周囲に宣言して後に引けないようにしたり、お金をかけても環境や準備を整えると軌道に乗りやすいことは実際あります。
しかしモチベーションや結果に繋がらないとみっともなかったり、空虚感に苛まれることも身を以て知っているはずです。
ある程度やらかしたら大抵の人は反省して、有言実行より不言実行、結果がそこそこ出て安定してから初めて報告したりと、謙虚になるものです。
いい年した大人になって、まだ形から入って周囲に大口を叩くのは、失敗していないというより現在進行形でやらかしに気づいていないので、理想と現実のギャップが見えていないのかなと見ているこっちまで恥ずかしくなってしまうんです。

開き直っている

「私ってこういう性格なので!」の自己紹介の後には、「だから仕方ないでしょう」という開き直り、「あなた達のほうが我慢して配慮してください」「自分の思い通りにやらせてほしい」という周囲への甘えが続きます。
今の自分の振る舞いを正当化し、今後も変えるつもりもないという宣言です。

SNSの感覚でカジュアルに名乗る女子急増?

承認欲求が剥き出しになって加速するSNS文化。
盛ったり映えることで、別物のようにランクアップした自分を演じたい人。
ありのまま・等身大の自分の内面をさらけ出して受け入れて貰いたい人。
文字数制限がある自己紹介欄や、他人と繋がる時間もどんどん短くなっているので、分かりやすい肩書きを求める習慣ゆえの、自称してしまう○○女子なのかもしれません。
普段より良く見せたり個性を主張するのが当たり前のSNS上の表現は、実際に本人に会わなければそれが虚像か実像かは分かりません。
対面でのやりとりは当然ながら事情が違って、発言と現実の評価が常にすり合わせられてしまいます。
そこにギャップがあれば不信感を抱かれるのは言うまでもありません。

バリエーションも増えているのは多様性?病名もターゲットに

多様性を認め合おうという風潮も強まり、性自認や病気や障害のカミングアウトも以前より抵抗の少ない社会になってきました。
本気で生きにくさに悩んでいたり、不当な嫌がらせや差別に苦しんでいた方々をもっと受け入れてあげたいのは本望です。
しかし残念なことに、ファッションやアクセサリー感覚で、自分の我儘を通すためだけに急上昇ワードに便乗し、印籠のように振りかざす厄介な人が少なからずいます。
10年くらい前なら自称「新型うつ病」「トラウマ持ち」。
最近なら自称「自己肯定感が低い」「HSP気質」「毒親育ち」などでしょうか。
傷病名を冠して我儘に振る舞う自称○○女子は、本来センシティブなワードを武装するためにだけ利用しているので、周囲はあれこれ言い辛く、とくに対応に困ってしまうのではないでしょうか。
チェックリストを少し見ただけの自己診断でも、病院に実際に通院して確定した診断名でも同じです。
医療の現場でも、病気だからといってやりたい放題暴れたり、不安から試し行為をしたり公的機関も巻き込んで、思い通りにならない憤りが職員への暴言や暴力になってしまう患者さんはずいぶん前から問題になっています。
必要なのは本人の努力でどこまでできるか、周囲はどこまで許容してサポートできるかのすり合わせ、何よりお互い歩み寄るための信頼関係です。
サポートを必要とする人と、受け入れる側の現場の体制や設備が充分に整っていない受け入れ側で、トラブルが起きたりSNS上で双方の主張で炎上したりと現状はどこまでも難しい課題です。

それでも面倒くさい自称○○女子達の取説

いくら自称「繊細さん」女子だったり自称「特性持ちさん」女子だったりしても、自分は動かざること山の如し、自分に都合の良いことだけ主張して譲り合えないのでは、周囲からの理解も協力も得ることは出来ません
相手だって人間なんです。
友達・恋人、職場の同僚・趣味仲間なら、面倒くさいなぁとか合わないなぁと感じたら距離を置いたっていいと思います。
ただ単に個人間の性格や許容範囲の不一致ですので差別ではありませんし、特別扱いをして全てを受け入れないといけない義務はありません
あまりに暴虐無人が過ぎるなら、その場で本人に「こっちも大変で事情を考えて欲しいな」「ソレって自分は何もしないけどみんなには配慮してくれって意味ですか?」などと率直な感情でツッコミを入れたりキャパシティを伝えて、認識を確認してもいいかもしれません。
「自分は○○だから!」で全てを完結させずに、対等な力関係で相互理解が進んでこその多様性だと思います。